相続人に認知症の方がいても、相続権自体を失うわけではありません。
ただし判断能力の程度によっては、遺産分割協議に有効に参加できず、成年後見制度の利用が必要になる場合があります。
目次
「認知症だから相続できない」と言われるのはなぜ?
相続権を失うわけではない
相続人が認知症になったとしても、法定相続人としての地位や相続分そのものが失われることはありません。
認知症の診断を受けた方であっても、被相続人(亡くなった方)との続柄に応じた相続分は法律上そのまま保持されます。
「認知症になると相続できない」という言い方は正確ではありません。
実際に影響が出るのは、相続権の有無ではなく、遺産分割協議に参加できるかどうかです。
影響するのは「遺産分割協議」に参加できるかどうか
遺産分割協議は、相続人全員が合意して初めて成立する法律行為です。
民法第3条の2は「法律行為の当事者が意思表示をした時に意思能力を有しなかったときは、その法律行為は、無効とする」と定めています[1]。
遺産分割協議も法律行為である以上、意思能力(自分の行為の結果を判断できる能力)を欠く状態で行われた合意は無効となります。
判断は「認知症の診断」だけで決まらない
ここで注意したいのは、医師から認知症の診断を受けているという事実だけで、意思能力の有無が一律に決まるわけではないという点です。
実務上は、遺産分割協議という個別の法律行為について、その内容と結果を理解し、判断できる状態にあるかどうかが問題とされます。
同じ「認知症」という診断名でも、症状の程度は人によって大きく異なり、比較的軽度で協議の内容を理解できる場合もあれば、重度で理解が難しい場合もあります。
そのため、診断名だけで機械的に「協議に参加できない」と判断するのではなく、実際の判断能力の状態を踏まえて対応を検討することが欠かせません。
認知症の相続人がいると相続手続きで何が起きるか
遺産分割協議に基づく手続きが進めにくくなる
意思能力を欠く相続人が遺産分割協議に有効に参加できない場合、相続人全員の合意という要件を満たせないため、遺産分割協議そのものが成立しません。
その間、相続財産は法定相続分に応じた共有状態のまま止まってしまい、遺産分割協議に基づく預貯金の解約や不動産の名義変更といった手続きには進めなくなります。
ただし、有効な遺言に基づく取得、法定相続分による相続登記、相続人申告登記、預貯金の払戻し制度(民法第909条の2)など、協議なしで進められる手続きもあります。
払戻し制度は、葬儀費用や当面の生活費など急ぎの支出に備え、遺産分割前でも他の相続人が単独で被相続人の預貯金の一部を払い戻せるもので、相続開始時の預貯金債権額×3分の1×払戻しを求める相続人の法定相続分が基準となり、同一の金融機関からの払戻しは合計150万円が上限です[1]。
一方で、相続税の申告期限(相続の開始があったことを知った日の翌日から原則10か月以内)のように、遺産分割協議の成立を待たずに進行する期限もあるため、手続き全体を先延ばしにできるわけではない点に注意が必要です。
預貯金の解約・不動産の相続登記でつまずくケース
金融機関での口座の解約・払戻しや、法務局での相続登記を遺産分割協議に基づいて行う場合、相続人全員の実印・印鑑証明書を添えた遺産分割協議書の提出を求められるのが一般的です。
相続人の中に意思能力に疑義がある方が含まれている場合、金融機関の窓口で成年後見人の選任等の対応を求められることがあります。
また相続登記についても、意思能力を欠く方が加わった遺産分割協議書は無効となるおそれがあるため、そのまま手続きを進めると後日、登記の効力が争われるリスクが残ります。
特に不動産については、2024年4月から相続登記の申請が義務化されており、自己のために相続の開始があったことを知り、かつ、その不動産の所有権を取得したことを知った日から原則3年以内に相続登記を申請する義務があります。
正当な理由なく申請しないと、10万円以下の過料の対象となる可能性があります[4]。
分割未了の場合は、相続人申告登記等による対応も検討できます。
なお、2024年4月より前に開始した相続にも経過措置があり、遺産分割が成立した場合には、その内容に基づく登記を成立の日から3年以内に別途申請する必要があります。
遺産分割協議が進められない状態が続くと、この登記義務への対応も遅れてしまうおそれがあります。
対処法を、できるだけ早い段階で検討しておきましょう。
対処法:成年後見制度を利用する
法定後見制度とは(後見・保佐・補助の違い)
意思能力に不安がある相続人がいる場合に遺産分割協議を進める代表的な方法が、法定後見制度の利用です。
裁判所の公式情報によると、法定後見制度は本人の判断能力の程度に応じて「後見」「保佐」「補助」の3つの類型に分かれています[2]。
「補助・保佐・後見」対象者と支援者の比較表
| 区分 | 対象者の判断能力の程度 | 支援者の呼称 | 代理権の範囲の目安 |
|---|---|---|---|
| 補助 | 判断能力が不十分な方 | 補助人 | 申立てにより裁判所が定めた特定の法律行為のみ |
| 保佐 | 判断能力が著しく不十分な方 | 保佐人 | 法律で定められた重要な行為への同意権に加え、申立てにより認められた範囲の代理権 |
| 後見 | 判断能力を欠く常況にある方 | 成年後見人 | 財産に関する法律行為全般についての包括的な代理権 |
申立てから後見人選任までの流れ
法定後見の申立ては、本人、配偶者、四親等内の親族などが、本人の住所地を管轄する家庭裁判所に対して行います。
申立て後、裁判所による審理が行われ、本人の判断能力の程度によっては医師による鑑定が実施される場合があります。
裁判所の案内では、申立てから後見開始の審判・後見人の選任までにはおおむね1〜2か月程度を要するとされており、鑑定を行う場合はさらに期間がかかることがあります[2]。
後見人が選任されて初めて、本人に代わって遺産分割協議に参加できるようになります。
なお、保佐人・補助人が本人に代わって協議するには、遺産分割についての代理権付与が必要です。
本人が自ら協議する場合の同意の要否は、保佐・補助の類型と審判内容によって異なります。
どの類型に当たるか、どこまで代理してもらえるかは個別に確認が必要です。
手続きにかかる費用の目安
厚生労働省の案内では、法定後見の申立てにかかる主な費用の目安として、申立手数料(収入印紙)が800円、登記手数料(収入印紙)が2,600円とされています[3]。
また、判断能力の判定のために鑑定が必要となった場合は、鑑定料としてほとんどの場合10万円以下が目安とされています[3]。
このほか戸籍謄本等の書類取得費も別途必要になるため、実際の総額は事案によって異なります。
成年後見人が遺産分割協議に参加する際のルール
成年後見人は、本人の利益を守る義務を負っています。
そのため、遺産分割協議においても、本人の相続上の利益を確保する必要があり、法定相続分を下回る分割には慎重な検討が必要です。
遺言、特別受益、寄与分等により本人の具体的な取り分が変わる場合もあるため、合理的な理由と本人の利益を踏まえ、必要に応じ家庭裁判所と確認します。
成年後見制度のデメリット・知っておきたい注意点
相続手続きが終わっても後見は続く
成年後見制度は、遺産分割協議のためだけに利用できる制度ではありません。
一度後見が開始すると、遺産分割協議が終わった後も、原則として本人の判断能力が回復するか、本人が亡くなるまで後見は継続します。
後見人の報酬は本人の財産から支払われる
後見人の候補者として親族を推薦しても、必ずその親族が選任されるとは限りません。
家庭裁判所の判断により、弁護士や司法書士などの専門職が後見人として選任される場合があります。
後見人の報酬は家庭裁判所の報酬付与審判により本人の財産から支払われます。
専門職が選任される場合は継続的な費用を見込む必要があります。
親族後見人にも報酬が認められる場合があり、後見監督人の報酬が別途生じることもあります。
家族が後見人になる場合の注意点(利益相反)
後見人の候補者となる家族自身も、同じ被相続人の相続人である場合には注意が必要です。
この場合、後見人と本人がともに遺産分割協議の当事者となり、利益相反の関係が生じます。
そのままでは後見人が本人を代理して協議に参加することができないため、家庭裁判所に特別代理人の選任を申し立てる必要があります。
ただし、成年後見監督人が選任されている場合は、監督人が本人を代表するとされており、特別代理人の選任は不要です。
家族が後見人候補者になる場合は、申立ての前に利益相反の有無を確認しておく必要があります。
認知症の相続人が相続放棄をしたい場合はどうなる?
意思能力を欠く状態では単独で相続放棄できない
相続放棄も、家庭裁判所への申述という法律行為の一つです。
そのため、意思能力を欠く状態にある方が単独で有効に相続放棄の申述を行うことはできません。
「相続手続きが面倒だから放棄してしまおう」と安易に進めることはできず、本人に意思能力がない場合は、後見人の選任など別の手続きが必要になります。
後見人選任後の相続放棄の流れ(3か月期限の注意)
意思能力を欠く相続人について相続放棄を検討する場合は、まず家庭裁判所に後見人の選任を申し立て、選任された後見人が本人に代わって相続放棄の手続きを行う流れになります。
相続放棄には、自己のために相続の開始があったことを知った時から原則3か月以内という期限があり、後見人選任の手続きにかかる時間も踏まえて早い段階から動き出すことが大切です。
もっとも、相続人が成年被後見人である場合は、法定代理人が本人のために相続の開始があったことを知った時から起算します(民法第917条)[1]。
後見開始前の意思能力、既に期間が進行していたかなどにより検討が必要で、後見人選任で必ず3か月がリセットされるわけではありません。
期限に関する判断は個別の事情によって異なるため、詳細は専門家にご確認ください。
認知症になる前にできる相続の備え
遺言書の作成
推定相続人の中に、将来判断能力に不安のある方がいる場合は、あらかじめ遺言書を作成しておくことも有効な備えの一つです。
有効な遺言書があれば、遺産分割協議を経ずに遺言の内容に沿って相続手続きを進められます。
ただし、遺言書は作成する本人に十分な判断能力があることが前提となるため、判断能力が低下してから作成すると、後にその有効性が争われるおそれがあります。
備えとして検討する場合は、元気なうちに準備しておくことが大切です。
家族信託・任意後見制度という選択肢
このほか、判断能力があるうちに財産の管理方法を決めておく家族信託や、将来に備えてあらかじめ後見人となる人を契約で定めておく任意後見制度という選択肢もあります。
いずれも本人の判断能力があるうちにしか準備できない制度のため、早めの検討が必要です。
よくある質問(FAQ)
Q. 後見開始の申立ては、他の相続人が進めることはできますか?
他の相続人であっても、本人から見て四親等内の親族にあたる方であれば申立人になれます。
子・兄弟姉妹・甥姪などは通常これに含まれます。
ただし申立書の提出後は家庭裁判所の許可なく取り下げることができず、後見人候補者について家庭裁判所から他の親族へ意向照会が行われる場合もあります。
申立ての前に、費用の負担も含めてご家族の間で認識をそろえておくと進めやすくなります。
Q. 主治医の診断書は、後見の申立てにどう使いますか?
家庭裁判所に提出する診断書は、成年後見制度用の所定書式で作成してもらうのが一般的です。
主治医が制度用の書式に不慣れな場合もあるため、受診の際にあらかじめ用途を伝えておくとスムーズです。
なお診断書はあくまで判断材料の一つで、家庭裁判所が必要と判断した場合は別途、医師による鑑定が行われます。
Q. 認知症の相続人がいると相続税の申告に間に合いませんか?
相続税の申告期限は、成年後見の手続きにかかる時間を理由に当然に延長されるものではありません。
期限までに遺産分割が終わらない場合は、いったん法定相続分で分割したものとして申告し、後日分割が成立した時点で改めて手続きを行う方法があります。
なお、未分割のまま申告する場合は適用できる特例の取扱いが異なるため、期限が迫っている場合は税理士等にご確認ください。
Q. 後見人に支払う報酬はどのくらいかかりますか?
報酬額は、家庭裁判所が本人の財産額や後見人の業務内容などを踏まえて個別に決定し、一律に定まっているわけではありません。
報酬は後払いが原則で、後見人が家庭裁判所に報酬付与の申立てを行い、その審判によって金額が決まる仕組みです。
見込みが気になる場合は、申立ての前に家庭裁判所や専門家へ確認してください。
Q. 相続手続きはどこに相談すればよいですか?
遺産分割協議の進め方や、成年後見制度の利用が必要かどうかの判断など、法的な論点を含む相続手続きについては、弁護士への相談が適しています。
まとめ
認知症になっても相続権そのものは失われませんが、遺産分割協議に有効に参加するためには意思能力が必要であり、状況に応じて成年後見制度などの活用を検討することになります。
成年後見制度には手続きの手間や継続的な費用負担といったデメリットもあり、本当に必要かどうかは相続人の状況や財産内容によって異なります。
早めに弁護士に相談し、適切な進め方を確認することをおすすめします。
相続手続きの進め方や成年後見制度の利用についてお悩みの際は、泉法律事務所(徳島県鳴門市)までお気軽にご相談ください。
*本記事は一般的な情報提供を目的としており、個別の法的助言ではありません。実際の手続きについては、必ず弁護士等の専門家にご相談ください。*
参考文献
[1] e-Gov法令検索(デジタル庁)「民法」(同ページ内の第3条の2・第909条の2・第917条を参照) (https://laws.e-gov.go.jp/law/129AC0000000089)
[2] 裁判所「成年後見制度(後見・保佐・補助)の概要を知りたい方へ」 (https://www.courts.go.jp/saiban/koukenp00/koukenp1/index.html)
[3] 厚生労働省「成年後見はやわかり(法定後見制度)」 (https://guardianship.mhlw.go.jp/personal/type/legal_guardianship/)
[4] 法務省「相続登記の申請義務化特設ページ」 (https://www.moj.go.jp/MINJI/minji05_00343.html)
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